プラム日記

日記です

2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

長血の女の癒しとは

金太郎飴という言葉を思い出してしまいました。聖書はどこを切っても金太郎飴のようだと言われる先生がいらっしゃいました。その意味は聖書の記事は全てが一貫しており、イエス様が救い主であり神様の愛の姿であることの証しの他には何も出てこないという意…

天国では性別があるのか

詩篇113篇9節には子供を産まない女も多くの子供たちの喜ばしい母になるとあります。すなわち御国では女性は完全な女性としての体と命を得て、嫁がず娶らないにも拘わらず子供のいる家庭が与えられると約束されています。 天国にも性別は有りそうですね。

婚礼での礼服

的確な説明をされているものがちょうど良くありましたので貼っておきます。 礼服(ヨブ記22章/マタイ22章) | 新宿シャローム教会 Shinjuku Shalom Church でもひとつだけ言わせてください。礼服とは聖霊のことなんですよね。

マルコ3章の片手の萎えた者の癒しについて

片手の意味について思いました。両手が萎えていない・・完全に不自由ではない・・世にあっては問題ではない・・関心の対象ではないということ。数多くの人々の中で片手の萎えたその人に関心を寄せて慈しみをもって癒しを願ったのはイエス様ただお一人であっ…

聖霊のバプテスマとは

聖霊のバプテスマは聖霊の満たしだということが分かりました。ハーベストタイムの動画とレムナントの記事が本当に正確に伝えてくれるようです。バプテスマは浸し、含浸、注ぎ込み、注入・・・みたいな語意になるのでしょうか。ただ聖霊の働きとか助けではな…

律法を行うことと御子を信じる信仰

ガラテヤ2:15~21 御子を信じる信仰とは御霊の働きによるものであって人のわざではない。 律法とは御霊の働きの無い時分の養育係りであって律法を行うことは人のわざである。 アブラハムがイサクを捧げたのを神はご覧になったので、予め定めておられた…

安息日をめぐって イエス様が怒り悲しまれた理由

マルコ3:1~6 片手の萎えた人をイエス様が癒された。安息日にこそ人は神と共に交わり人は互いに愛し合うはずであるのに。手の萎えた人を慈しむ人はだれもいない。神は愛であってただ主のみが愛を施している。

新たな礼拝・説教の可能性

昨晩はYouTubeのJMCさんのところへお邪魔をして水を注してしまいました。ちょっと悪いことをしてしまいましたね。でも終わった時点の視聴数が10人でGOODマークが9個も付いていましたからライブの意味は大きいと思いました。 www.youtube.com ただ1時…

私たちは何を信じるのか

この数日の間に考えていたことを少しまとめてみます。 私たちの信仰について。私たちは一体何を信じているのか。これ以上に無い、最高の答え。 私は私たちは神様に愛されていることを信じているんだ!このひとつのことに全てが集約しています。どのようにし…

教会の働きとは

1年ぶりくらいで学校の同窓の人とやり取りしました。LINEを始めた通知があったからです。うれしかったなあ。元気で仕事に励まれているようで自分も励みになりました。 最近クリスチャントゥディで見た記事がどうしても見つかりません。JTJを2006年ご…

慶応の量子コンピューターの動画の中で・・眼鏡の丸顔の女性講師の8話?

情報は物理学の要素になる?みたいなことが言われていました。そしてどのような時にエントロピーが大きくなるのか・・・それはDELEET=消去された時に一番エネルギーが必要ということのようです。 ふとこれを聞いた時にこの肉の世が過ぎ去って悪=闇の存在が…