プラム日記

日記です

4千人と5千人の給食

今日の礼拝説教には大仰天しました。四千人の給食の場面で弟子たちがその給食をするつもりが無かったということ、またその理由が四千人の群衆はほとんどがツロやシドンから三日に渡りイエス様に付き従ってきた異邦人であったことであると明らかにされたからです。デカポリスの只中に面した岸辺と言えばカペナウムの反対岸になりましょう。7章31節や8章2節で分かることです。8章3節では遠くから来ている者がいるとしています。全くそのとおりであることがマタイでも記されています。群衆はツロやシドンから付いて来たと明らかにされています。ルカとヨハネでは給食の奇跡は一度しか記されていません。しかし全ての福音書にあるこの給食の奇跡は真に重要な核心的なことを私たちに証しするものです。 弟子たちが二度目の給食の際にはその群衆はガリラヤ人ではなくツロやシドンの異邦人であるために自分たちとは無関係であり以前のガラテヤ周辺の同胞5千人の群衆の時のように食べさせようとはせずに、とぼけて前回と全く同じ質問をしたのだということは普通に読めば誰でも判ることです。イエス様の弟子たちはイエス様に付き従いながらもユダヤ人の他の人々に行われる奇跡のしるしを見ながらも、あくまで救いはユダヤ人だけのものという教えに囚われていたわけです。それがまさにパリサイ人のパン種・律法学者のパン種・ヘロデのパン種に気を付けなさい、警戒しなさいという御言葉の真意であったわけです。それはご自分の救いのみわざは決してユダヤ人だけのものではない、異邦人の全てに及ぶのだという異邦人四千人の給食に関わろうとしなかった弟子たちへの明快な(だけど遠回し)回答であったわけです。そしてせっかくですから給食のもとのパンの数と残ったパンくずのかごの数に注目してみました。ユダヤ人同胞の時は5つのパンで5千人が満腹になり12かごが残りました。5つのパンとは黙示録に出てくる不完全な教会の数のようですね。そして12かごとは完全なイスラエル民族・完成した国家としてのイスラエルのことのようです。また異邦人に対しては初めから完全な教えである7つのパンにより四千人が満腹した結果、7かごが残ったのだと。異邦人に対しては初めから完全な十字架の贖いと復活の救いのみわざが示されているということのようですね。実はここまで踏み込んだ説き証しというものは私は初めてです。

最近はもう異邦人の救いが先でユダヤ人が後回しという図式にハマりっぱなしのようです。

不義の末路・悪人との付き合い方

休み前にオバデヤ書とナホム書の講義でのこと。一言で言えば栄耀栄華を誇り永遠にその繁栄が続くかのごとく見えるアッシリア(悪の存在)は実は我々が願わずとも神は必ず滅ぼし尽くすということ。故に不義の者を裁いてくださいと祈る必要すら無く、その裁きの大きなことを知るならばその裁きが弱まることを祈り求める他ない。

兄弟(隣人)が簒奪されようとする時にそれを喜び簒奪に加わる者は永遠に滅びる。兄弟愛が無かったのか信仰の系譜を継ぐに慮りが足りなかったのか。

水と霊によって生まれる

エス様は水と霊によって生まれなければ天国に入ることが出来ないといわれました。

水は洗礼=信仰告白ですがその信仰告白をさせるものは聖霊です。なぜ水と霊によって生まれなければならないと別けて2つを取り出したのか。それは信仰告白と霊を受けることが別のことがらであるからです。イエス様が救い主であるとは聖霊が告白させてくれますが、一度その告白をしたことで聖霊が働き続けることにはなりません。聖霊の内住とは良く聞くことですが聖霊が内住しているのであれば常に告白し続けるのではないでしょうか。毎週の礼拝とは信仰告白をしにいくことでみんなで一緒に告白すること神の霊を受けることを味わって交わることですね。教会に行かずに一人信仰告白して礼拝することも有りでしょうが、そうした兄弟のために祈ることが必要ですね。献金しに来なかった奴のためには祈らないということは無いでしょうが、共に告白することが出来ない者が最も祈らなければならない兄弟ですね。

教会論?完成なの?

日本でのキリスト教会法人の在るべき形が分かりました。法人は互いに包括法人と被包括法人となるべきです。相互包括被包括関係ということです。それが敵わなければ別に全ての教会が単立法人として資産管理をすれば良いことです。党派心や名誉欲などを満たすために包括被包括関係を教会間に作ることには全くの意味が無いからです。これは教会が神様と神様の関係と同じであるべきという神学に基づいています。真の一致とは相互内在であるということですね。

明快明確なコンセプトが教会にも必要?

昨日セブンイレブンでコーヒーを買う時にふとマスクのコーナーを見た。

そしたら大発見。なんと5枚入りの不織布マスクが198円で売られていた。(ちょっとしょぼいやわな感じだけど)何が大発見かというと普通のコンビニの中で最安値だったからです。100円ショップでは3枚110円がありますが普通は7枚298円が一番多いみたいです。原付で出歩く私はあんまりマスクを携行する習慣が無いので持たずに家を出てバスとか電車に乗るのに仕方なく買うことが度々です。その都度不要な高いものを買わされたと落ち込むのですが基本的比較的に他店よりも高いセブンイレブンに最安値が有るとは思いませんでした。セブンイレブンは高いと思ってマスクのコーナーなど見たことも無かったからです。つづく

ダニエル書で思うこと

ダニエル書で二つ思ったことが有ります。

ダニエルには幼い時からの信仰の友がいました。共に炉の中に投げ込まれることも厭わない深い信仰の友ですね。またその信仰の友はダニエルが始めに王の夢を神から知らされなければならない時に共に祈った仲間でした。

その様に共に炉の中に投げ込まれることを厭わない友人がほしいです。

しかし炉の中まで付き合ってくれなくても良いので共に祈ってくれる友人がほしいです。

ペンテコステに与えられたもの

先ほど近くのスーパーでさわらの刺身とハタハタの丸干し、占めて600円弱を買って帰る途中に激しく聖霊が降りました?今日の礼拝説教は創世記8章のノアの洪水のところだったので、水の中の生き物は創造以来に呪いに掛かったことは無いのかな?と思って魚を攻めたのです。ふとペンテコステ聖霊降臨を思い出しました。降臨した聖霊とは教会に賜物の力を与える霊のことだと分かりました。癒しや異言の霊も有りますが、預言の賜物、すなわち御言葉を説き明かす賜物の力が教会に与えられたということです。パウロの言葉は他の賜物(癒しや異言の賜物)を誇るのでは無しに熱心に預言の賜物・・すなわち預言を為さしめる御霊の働きを願い求めよと言うことでした。先週の或る牧師さんのお話の中にどうやって聖書が編纂されたかについて、それが御霊によるものか否かは御霊の働きの有る人には判るのだ・・とありました。そのとおりと思います。異言によって教会が世界教会になったことと同じに教会が御霊による御言葉の説き明かしによって集められ養われると言うことが正に御霊によって示されたのだと思います。